軽井沢の「丸山珈琲」

丸山珈琲1

マガジンハウスの雑誌BRUTUSをときどき買い求めることがある。
2007 3/15号はCOFFEEを特集していた。

世界中の産地を駆け回る、コーヒーの探求者。
として丸山健太郎氏と、彼が経営する「丸山珈琲」の記事が紹介されていた。アッ軽井沢にあるのか。店内の装飾もクラッシックでなんか落着いている雰囲気だ。飲んでみたいなと思いながら、なかなか行くチャンスがなかった。

丸山珈琲2

久しぶりにT嬢がお絵描きに来たので話してみると、何度も飲みに訪れていて、場所も知っていた。行ってみるかい、雨の中を、わざわざ飲みに行ってきた。 最初だからオーソドックスに「丸山ブレンド」を注文し飲んでみた。ウー強いね。普段飲んでいる豆ではないので慣れていないせいかな。勿論、ブラックで。飲んだ後味は、悪くない。店を出るときに「さわやかブレンド」を250g挽いてもらった。家では計量カップ1弱で淹れて飲んでみたら、美味しい。粉は少なめでいいな。

ところが今朝の新聞でスーパーの折り込み広告を見てビックリ。
新発売「丸山珈琲」だって。なんだよ、これは。何処でも買えるのは便利かも知れないが、少しガッカリ。

水仙狩りに誘われて

水仙狩り1

信州の春は花の便りと共にやって来る。
梅、杏、桜に続いて今夜は「水仙」の話題をお届けしよう。
昨日の日曜日は朝から快晴に恵まれて懐古園は花見客で賑わった。

水仙狩り2

IVYが住む町内のO老夫妻が趣味で野菜畑を耕しておられる。
歳と共に広大な畑を耕すことが困難となり、今は野菜の栽培を縮小し空いた畑に「水仙」を植えられた。今年も見頃ろを迎えて「水仙狩り」のお誘いを頂いたので出かけて行ってきた。

水仙狩り3

来年の株を大きくするためにも花は摘み取ってしまわないと、いけないそうだ。一人二人では摘み切れないので、近くの幼稚園の園児に遠足に来ていただく予定もあるとか。畑の前は中学校のグランドで、子供たちがサッカーの試合をしていた。時折り応援席から喚声が聞こえてくる。畑に一本の桜の木がある。満開の桜の木の下でお花見と洒落込む。

小諸郊外の桜

バケツ一杯に水仙を頂いた帰りに少し足を延ばして「花川」という名の小川が流れる公園へ立ち寄った。少しづつ整備されてきた公園だが、日本の原風景とも思える景色に心が和むようだ。幾筋にも伸びた残雪の浅間山を背景に小川が流れ、その散策路には桜が植えられ、満開を迎えていた。そして川をまたぐように「こいのぼり」が春風に揺れて泳いでいた。原田泰冶が描くメルヘンの絵の世界を見たような気がした。小諸にも、このような景観を意識的に作り出す、人々がいることに嬉しくなってしまう。のどかな陽春の昼下がりを静かに堪能する。ちょっと残念だったのは小川の堤防がコンクリートで作られていることだった。防災上、止むを得ないとは思うが、草木を増やし「蛍」の里にするのも可能なような気がするのは私だけかな。

小諸城址公園「懐古園」の桜見頃ろを迎える

懐古園の桜1

小諸城址公園「懐古園」の桜が見頃ろを迎え、この土日は花見客で賑わった。

撮影は4月14日の午前8時ころ。前日夜半からの雨も上がり、しっとりとした桜を撮ることができた。まだ観光客の姿は見られなかったが、写真愛好家が盛んにシャッターを切っていた。

懐古園の桜2

懐古園の桜の観測木を天守閣跡から撮影する。右は「小諸八重紅枝垂れ桜」だ。

懐古園の桜3

石垣を登って馬場一帯に咲く桜を撮る。ここは花見の宴が開かれるところだ。

懐古園の桜4

枝垂れ桜も開花して懐古園は桜、桜の季節を迎える。

懐古園の桜5

快晴の青空に桜のピンクのコントラストが美しい。

小諸城址「懐古園」の桜が開花しました

懐古園の桜咲く

予報では10日が開花、15日ころが見頃ろと聴いていた「懐古園」の桜。
素晴らしいお天気に誘われるように孫と散歩を兼ねて様子を見てきた。
三の門前の桜が開花していた。このままお天気が続けば15日の日曜日は「お花見」の宴も大丈夫だろう。

小諸八重枝垂れ桜は蕾

懐古園の馬場にある「東屋」の横に有名な「小諸八重紅枝垂れ桜」があるが、例年だと「そめいよしの」が終わってから開花するのに、今年は同時進行のようだ。やはり暖冬の影響だろうか。懐古園の桜は例年、25日前後だったのに、この分だと10日も早く見頃ろを迎えそうだ。

小諸城址懐古園馬場の桜の木

懐古園の「お花見」の場所は、ここ「馬場」一帯だ。だが、今日は、まだ蕾のまま。明日はお天気も下り坂のようで、今週末の開花は無理のようだ。桜の撮影は人影のない曇り空の早朝が狙い目。また日を改めて撮りにこよう。

初めて読んだ歴史小説「風林火山」

初めての歴史小説「風林火山」

これまで私の書棚に時代物や歴史小説のたぐいは一冊もなかった。
ところが今年の正月からスタートしたNHK大河ドラマ「風林火山」は、昭和の文豪 井上 靖の「風林火山」が原作だった。
このドラマの主人公は「山本勘助」。勘助ゆかりの地である小諸市民の一人としては、なんとしても読んでおかなければ話にならないと思いつつ、テレビのドラマは欠かさず観ていた。

ドラマのストーリーは井上 靖の原作を元に脚本家である大森寿美男氏が原作に描かれなかった勘助の青春時代からスタートした。そして四月に入り、いよいよドラマも信濃を舞台に移し、原作の内容が克明に描写されるはずだ。こうなると、ますます読みたくなる衝動にかられる。

ドラマのクライマックスは、あの「霧の川中島の合戦」だ。私が勤務した会社は、まさに川中島にあった。ところが20代から勤めたにもかかわらず、退職するまで、関心がなく信玄や謙信の史跡や本には縁がなかった。

今年になってドラマのストーリーの本と原作である井上 靖著「風林火山」の文庫本は買って、テレビの棚に置いてあったが、原作本には手を出さなかった。

それが、恐る恐る一ページ目から読み始めると、なんと二日で一気に読了していた。本は積読で有名な私だが、これには自分で驚くやら、珍しいこともあるものだと感心するばかりだ。

これまで観てきたドラマの映像が頭に焼き付いていて、小説に登場する人物像が鮮明にイメージとして私の脳裏を行き交う。

この「風林火山」。戦国時代の戦がテーマかと思ったが、とんでもない。
山本勘助が惚れる武将「武田信玄」と信玄の側室「由布姫」の壮大な人間ドラマだった。

小説の終章(十三章)で川中島合戦で信玄と謙信の壮絶な戦闘シーンが書かれているが、テレビドラマより臨場感一杯に迫って読ませてしまった作者の巧さ。

昭和28年に「小説新潮」に連載が始まったというから今から54年も前に書かれた小説ということになるが、何故、もっと早くに読む機会に恵まれなかったかと悔やむ。

NHKのドラマ・ストーリーの本の中で、原作者「井上 靖」のご子息「井上修一」氏が書いているが「父は「風林火山」の最後の場面が、特に気に入っていた。川中島の戦いで上杉謙信の奇襲に武田信玄を守って倒れる勘助の衰えていく感覚の中に、待ちに待った本隊が引き返してくるホラ貝の音が遠くから聞こえ、初め芥子粒のようだった援軍の姿が、段々と大きくなってくる・・・・」。私もこの場面は、ハラハラしながら読んでいた。そしてクライマックスで敵の若い武士から討たれる場面で書かれた、

「勘助の一生の中で、一番静かな時間が来た。相変わらず叫声と喚声は天地を埋めていたが、それはひどく静かなものに勘助には聞こえた。板垣信方の顔が現れた。信方は言った。随分長く生きたな。俺が死んでから十何年も・・すると、今度は由布姫の顔が現れた。由布姫は、彼女が機嫌のいい時見せた笑い方で笑った。玉を転がすように、その声は転がって来た。その傷は何ですか。生まれつき見られない顔なのに、またそんな重傷を負って・・非難をこめて言う独自の由布姫の言い方の快さが、勘助の心を痺れさせた。その時、山本勘助と見受けるが・・・名を名乗れ。 まだ若々しい声が聞こえた。若い武士に討たれることが、勘助は何か満足だった。いかにも、武田の軍師、山本勘助・・・」。
私は、声は出さねど、台詞を喋るように、抑揚をつけて、少し興奮気味に語りながら読了した。

かつて恨みをもち仇討ちの相手であった武田家に近づき、板垣信方に推挙され武田家に仕官する勘助だったが、武田家の御曹司、武田晴信に惚れたばかりか、晴信の側室の世話までし、側室に生ませた子が、やがて成長し初陣を飾るのにふさわしい城まで築城してしまうほど、武田家に惚れこんでしまった山本勘助は、果たして軍師だったのか。「風林火山」で描かれる勘助像は、見た目は醜い足を引きずり、片目の男だったが、実は、武田家の繁栄と行く末を心から願っていた、「優しい心」を持った男だった。

本を読むまで、ただ、城作りの名人だったとか戦略家とか表面的なことしか知らなかっただけに、恥ずかしい限りだ。

勘助が伝説上の架空の男だったか、「甲陽軍艦」など歴史資料により実在していたとも言われているが、井上 靖著「風林火山」を読んでいるうちに、そんなことは、どうでもよくなり、「男のロマン」を追い続ける一人の男の物語として読めた。そして「山本勘助」をもう少し知りたくなる。

黄金の10年へ・・・・・

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雨の朝を迎える。

昨年の10月の臨時増刊号「悠々として急げ」に続いて文芸春秋5月臨時増刊号「黄金の10年へ」を書店で立ち読みしてから買い求めた。

サブタイトルの「黄金の10年へ」は読者に投げかけられた暗示のメッセージであると思うが私なら、どう受けとめるか。私は今67歳これから10年とすれば77歳。私の「黄金の10年へ」を模索してみよう。

「知的円熟世代のヴィジュアル総合誌」と銘打って発刊されたが、「サライ」とは編集方針が違うような気がする。大判の見開きでカラー写真が掲載される迫力。今日は一日ワクワクしながら読み続けた。

ロング・インタビュー浅田次郎、現地イタリア・インタビュー塩野七生を一気に読む。進化する大人の街「六本木」は国立新美術館を特集している。
川上弘美のショート・ストーリー「春二番」は文春らしく小説も愉しめる。ページのあちこちで目にするお洒落なイラスト。一日で読んでしまうにはもったいないので、雑誌を閉じた。

雨も上がり薄日も射してきた。

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待ちかねたようにカミさんは庭に出ていた。雨に濡れてしっとりとした庭は植物たちの色が少し春色に変化していた。「晴耕雨読」なんて柄ではないが、これからの季節、お天気さえ良ければ庭が一番愉しくなるころだ。

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山野草の師匠が、にこにこしながらビニール袋を提げて訪ねてきた。「忘れな草」が手に入ったので鉢植えにして持ってきたよ。暫くは室内の明るいところで飾っておきな。

「黄金の10年へ」か。
このままで、いいような気がする。そう、このままで77歳になっていれば最高だな。

キリンここち開花フォトコンテスト2006受賞者がWEB公開されました。
IVYが応募した写真も「優秀賞」に選ばれました。
よろしかったら下記のアドレをクリックしてご覧ください。
http://www.kokochikaika.com/contest/2006/p2.html


小春日和はお散歩日和

お散歩1
お散歩2
お散歩3
お散歩4
お散歩5
お散歩6
お散歩7
お散歩8
お散歩9

東京では桜が開花したという。
いよいよ桜前線が日本列島を駆け巡る。
暫く続いた寒の戻りも、ないだろう。
でも春のドカ雪にはご用心。
タイヤの履き替え躊躇する。
娘と孫が墓参りに来てくれた。
「おっしゃん」読経に来てくれた。
早くも明日は彼岸明け。
春うらら。
家にいるのは、もったいない。
散歩がてらに孫と遊園地へ。
機関車やえもんに乗り遅れ。
歩け、歩けと気持ちよい汗。
道端で芝桜が、ぼつぼつ咲き始めていた。
孫にもカメラを持たせた。
花だ虫だとパチパチ撮っている。
蝶が舞うのどかな芝生で日向ぼっこも。
孫とペアールックのGジャンでジジ撮ろうよとセルフ撮り。
鹿谷も昔のままの通い慣れた道。
往きはよいよい帰りはおんぶ。
あー疲れたよ。

速報「NHK大河ドラマ!!風林火山!!特別講演会」のご案内

いつもお世話になるギャラリー福槌さんのオーナーは「小諸城」と風林火山を語る会の会長さんでもある。IVYのブログ「小諸日記」でもオーナーの応援記事をUPしているが、本館の、このページでもご案内させていただくことにした。

風林火山の特別講演会のポスター

PS
右サイドバーのナビゲーター窓に表示した風林火山のピンバッチ。
「小諸城」と風林火山を語る会が制作したもので近日発売予定だそうです。

早春の塩野の森へ

早春の塩野の森を訪ねて

ここは長野県北佐久郡御代田町の標高1,000mの塩野の森。
小諸から車で15分ほどで到着する。
ここに一番下の妹夫婦が都会から脱出して田舎暮らしを始めている。
自宅から歩いて一分のところに浅間山麓に開発された名門「大浅間ゴルフクラブ」がある。


今日は妹二人がカミさんからパッチワークを教わるのが目的で我々が行くのを待っていてくれる。スローライフが慣れてしまっているせいか、これでも急いで出かけたつもりだが約束の時間は過ぎていた。

早春の浅間山1

通称1,000m道路という道が中軽井沢まで通じている。この道から少し折れて一分ほど歩いて行くと、左に「黒斑山」右に「浅間山」が圧倒的な迫力で迫って見えてくる。

妹宅のグリーンインテリア

夏は避暑地としては最高の環境に住んでいるが冬は標高が高い分、厳しい寒さに耐えねばならない。床下暖房と薪ストーブは必需品だという。快適な温度設定の環境に室内の植物たちも元気がよさそうだ。「おはよう」と入っていくと開口一番に「この冬籠りの作品です」と「句集」を見せてくれた。今回はパソコンで作らなかったので、これ一冊のみよ。読んでいくと妹夫婦のこの冬場に過ごした日々が手に取るようにわかる。穏やかな日々の様子に安堵する。「友と来し 表参道 銀杏散る」上京したんだな、「節分や きっちり食べる 豆の数」アレこちらの旦那、豆た食べたっけ?。

明るい陽射しが射し込むリビングのソフアに深々と座り込み、ぼーとしていると眠たくなってしまうほど静かだ。このお宅の夫婦は大の読書家でもある。誰かさんの積読とは大違いだ。読みかけの本が置いてあった。半藤一利著「其角俳句と江戸の春」、もう一冊は田辺聖子著「おせい&カモカの昭和愛惜」。「いもたこ・・・」も健次郎さんが倒れて、いよいよ最終章。藤山直美で観せた朝ドラが終わる頃、日本中が桜の話題で持ちきりだろうな。

パッチワーク

女性たちのパッチワーク教室が始まったようだ。私はお天気が良かったので散歩に出た。場所によっては秋と冬と春が同居するような風景に出会う。ipodで陽水を聴きながら森へ入っていった。唐松の木を盛んにつつく「きつつき」のような鳥にも会う。後ろを振り向けば「蓼科山」や遥か「八ヶ岳連峰」も青い空に、くっきりと遠望できる。

塩野の田園風景

この辺りは唐松林が多い。そういえば、今冬は、とうとう「唐松の霧氷」は見ることができなかった。 高原野菜畑も、苗が植えられ青々としている。

一時間ほど歩いていたが時計を見ると、そろそろお昼だ。さてさて本日のメニューが楽しみになってくる。

妹の手作りランチ

帰ると教室も午前の部が終了しテーブルにはマットが敷かれていた。

最初に出てきたのは「サラダ」。続いて「ハッシュドビーフカレー」。デザートは抹茶のアイスクリームの林檎と苺添え。そしてコーヒーと「バナナマフィン」。全部美味しく頂戴する。

教室も午後の部が再開された。私はベランダに出て「日向ぼっこ」を愉しみながら小鳥が餌台に寄ってくるのをじっと眺めていた。やはり森だな小鳥が多い。みんな春を待ちわびている。

テレビで先の桜の開花予報で気象庁が計算ミスを犯してしまったと報じていた。このところ、国民に詫びる姿をテレビで見るが、もう見飽きたね。

イタリア談義

イタリア談義

ここ数日、この時季本来のお天気が続く。北信では雪降りの一日になったらしい。桜の開花予報が発表されたばかりだが、今度は修正予報が出るだろう。旅行代理店も花見ツアーのスケジュールを組めなくて困っているらしい。

ここ東信は朝から良く晴れたお天気となったが北風が冷たく部屋もストーブを点火し、炬燵から離れられない。

午後、久しぶりにMさんが来訪する。
IVYおじさんたちのように私たちもイタリアへ行ってきます。
子供たちもそれぞれ自立して、やっと私たちも旅を楽しむことができます。
パパの還暦祝いと私たちの結婚30周年を記念して思い切って海外へ。
と嬉しそうに話出す。
今日はイタリア旅行の先輩としてお話をお聴きしたくて。
炬燵で松代の茶菓子があったので煎茶と一緒にお出ししながらイタリア談義が始まった。

私もそうだった。
イタリアから帰ってから「紀行記」をホームページに残している。
こんな文章で書き始めている

「14時間の長旅。なんとか、禁煙もできた。いよいよ、夜のとばりのおりた、ローマはフィウミチーノ空港に着陸である。空港の滑走路が夜間照明に照らされて、真っ直ぐのびている。機長の着陸成功のアナウンスに機内から拍手の音が聞こえてきた。初の入国審査を無事通過して、ローマ入りする、感激の一瞬である。時に19時を少し過ぎていた。日本との時差は−8時間。今夜はホテルに直行して遅い夕食となる。
プログラムには「ローマ料理」と記載されている。お腹も鳴ってきた」。



思えば59歳で会社を飛び出した翌年の二月にカミさん孝行も兼ねて憧れだったイタリアへ胸躍らせて旅立った。還暦記念も兼ねていたのでトランクには赤いセーターを密かに詰めていた。あれから七年の歳月が過ぎていた。後二年すればリタイア十年目を迎える。なんと月日の経つのが速いこと。

まずアルバムから見ていただくことにした。あの頃は、まだフィルム写真だった重たい一眼レフカメラで36枚撮りフィルムを12本も撮ってきた。デジタルカメラは35万画素クラスでサブカメラだった。アルバムのページの何処を見てもハイポーズの写真は見当たらない。どれもイタリアの食と人と風景と建物ばかり。

お二人共カメラ好き。ツアーならガイドの説明など聞かなくていい。ツアー客の一番最後列について、好きなようにシャッターを切りまくって。などと余計なお節介を言ってしまう。

誰かさんが言っていた。
旅は美味しいものを舌で味わい、美しいものを目で堪能し、そして旅の音も耳で感じてきてください。確かにそうかも知れないが、便利なデジタルカメラがある時代だ。沢山撮って帰ってきてください。

ツアーには素敵なプランが組み込まれていた。なんとあのアガサ・クリスティーの推理小説で有名な「オリエント・エクスプレス」にフィレンツェからヴェネツィアまで乗車するとのこと。そして更に列車の食堂車でフルコースのディナーも賞味するという。この列車は、なかなかキップが取れないことでも有名だ。想像するだけでも素敵な結婚30周年の思い出に残る旅になることだろう。

旅のご無事を。そして、行ってらっしゃい。

★PS
イタリア紀行記が、まだサーバーに残っておりました。

http://www.valley.ne.jp/~ykakegaw/italy/top.html

イタリア紀行記テキスト版
http://www.valley.ne.jp/~ykakegaw/tekisuto/roma/index.html

余談だが、イタリア旅行を体験していなければ、今の「男のイタリアン」など存在しない。それほどイタリア旅行は私にとってはインパクトが強かった。