身延山久遠寺参拝と万燈講

身延山参拝1

私の菩提寺が昨年から参加している日蓮宗 総本山 身延山久遠寺の宗祖「御会式」(おえしき)の期間中に行われる万燈講に今年も参加することになり昨日(12日)、強行軍の日程で日蓮聖人のお墓参りを兼ねて行ってきた。

身延山参拝2

お上人(住職)以下、檀信徒16名で貸切バスをチャーターしてお昼過ぎに寺を出発し一路、身延山へ向う。野辺山高原経由で須玉インターから高速に乗る。紅葉が少し始まったばかりの車窓の景色を愉しみながら三時間ほどで身延町に到着する。昨年、誂えた菩提寺の宗紋を染め抜いた揃いの法被姿で参道の坂道を登っていくときは、何故かピーンと張り詰めた気持ちになる。

身延山参拝3

お上人は、身延に到着すると直ぐに日蓮聖人が眠るお墓へ一行を連れてお墓参りに祖廟拝殿(そびょうはいでん)へ案内される。境内は、うっそうとした樹木に覆われ、光を遮っているなかで、「赤い木の実」(がまずみ・らしい??)が秋の風情を感じさせてくれていた。

身延山参拝4

祖廟拝殿で、順番を待ちながら、何年か前に祖廟輪番奉仕で、ここを訪れたことを思い出す。

身延山参拝5

一行がお参りする順番になる。お上人が「開経偈」を読経し始める。我々も後に続きながら、最後に「お題目」を唱える。拝殿の奥に日蓮聖人のご遺命にしたがってたてられた御墓を収める祖廟塔が見られた。

身延山参拝6

日蓮聖人のお墓参りを無事済ませた一行は、ここで万燈講の行列がスタートする時間まで休憩となる。門前通りで土産を買ったり早い夕食を済ませスタート地点となる「総門」へ下る。

私は休憩時間を使って御廟法務所で「御朱印帳」に参拝記念の印をしていただく。


万燈練りは、総門を午後4時に出発し本堂(久遠寺)までの3.5Kmを4時間かけて練り歩く。今年は、全国各地から50講を超える参加とお聴きした。我が菩提寺の講は地元の「元町」の講に昨年同様にお仲間に入れていただく。菩提寺には万燈もあるが、身延までは運ぶことが出来ないので「元町」の後に続くことになる。

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宗祖御会式とは……
 日蓮聖人ご入滅の日を記念して行われる法会(ほうえ)です。会式とは法会(ほうえ)の儀式を略したもので、聖人の遺徳を偲び、報恩の法要を行います。日蓮聖人は1282(弘安5)年10月13日辰の刻(朝8時ごろ)池上宗仲の邸で御入滅されました。その日、入滅の地、池上では庭の桜が花をつけたという故事から、桜の花になぞらえた万燈がともされます。
 身延山では、山内の僧侶が総出仕して天童音楽大法要が営まれます。12日の夜は万燈練供養や夜を徹しての高座説教が行われます。

日蓮聖人を敬慕する盛大な大法要で10月11日から13日の3日間行われ、とくに12日の夜は、まといと和紙で作った花飾りを付けた万燈が、笛や太鼓のおはやしが鳴り響く中、参道を練り歩く様は勇壮そのものです。

万燈行列は弘安5年(1282年)10月13日に日蓮聖人が61歳の生涯を終えた時、武蔵の国の千束の郷(現在の東京都大田区池上)の桜が一斉に咲いたという故事に由来したものです。この日は地元門内各区をはじめ、町内の万燈講、企業などの他、県内はもとより関東、東海、関西の寺院や信徒ら約2千人が参加し、本堂までの約3.5Kmを約4時間かけてゆっくりと練り歩き、各団体がそれぞれ万燈を奉納します。

(http://www.kuonji.jp/より転載)


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身延山参拝

地元の講は、一番最後にスタートしますので、我が菩提寺の講は45番スタートと日も落ちて午後6時ころ出発となりました。私も記念にと一枚撮っていただきました。今日の日のために笛や太鼓のお囃子を練習してきた成果を、今夜の万燈で披露します。私も太鼓を叩きながらお練の輪の中に入っていきました。

身延山参拝8

門前通りの両側に建ち並ぶ店の前で「ご祝儀」や「ご酒」を頂くと、お礼の意味を込めて「纏」が舞われます。こんな調子ですから10mも練り歩かないうちに舞いが披露されますので、本堂に到着するまでに4時間も、かかってしまいます。

身延山参拝9

やっと本堂に到着です。夜空に突然、新しく建てられた「五重塔」がライトアップされ見えて来ました。来年五月には盛大な落慶法要が営まれるそうです。本堂では、これから万燈講の奉納式が行われ久遠寺の高僧より報恩のお言葉を賜ります。いよいよ万燈講もクライマックスを迎え緊張した瞬間です。

全ての行事が終わり帰りのバスに乗車したのは日も変わり午前0時を回っていました。日帰りだったのです。バスの座席に座った途端に心地よい疲労感が眠りを誘います。今日も、こうして徳を積みました。

迎え盆

小諸市街地を流れる中沢川

今日は早くも迎え盆だ。暦の上では立秋も過ぎたが、朝から太陽の光は容赦なくジリジリと地面に照り付けている。
例年だと家々の開け放たれた窓から夏の甲子園球児たちの熱戦を伝えるテレビの実況放送が聴こえてくるが今年は更に北京オレンピックが加わる。

昼飯を済ませて、夕方は新盆見舞いも何軒かあるので、今年は早めに墓参りに出かける。

ご先祖様が眠る墓参りを終えて、次のお墓へ向う途中に川幅2mたらずの小さな川が流れている「中沢川」だ。すぐ近くの「健速神社」の前を通り千曲川に合流する。お墓へ歩いて行くときに必ず見る川だが、このところ地域の方々が「川の清掃」に努力された効果が出てきていて、ゴミ一つない綺麗な川となった。道端から川岸に降りられるように石階段があり、降りてみた。たまたま、知人のOさんに会う。麦藁帽子に半ズボンのいでたちで庭に撒く水を汲みに来たとか。小諸は坂の町、一つ目の墓参りを終えたときには、もう汗びっしょり。川岸に下りると、そこには洗い場が設けられていた。清水も流れている。一服しながら、もう一つのお墓に供える花を水に休ませてやる。Oさんが云う「昔は、みんな、この川で洗濯もしたものだ。最近、蛍が舞っているのも目撃した」。私も師匠と、この川に繁茂する「苔」を何度も採りに来ている。Oさんが更に云う「先日の雷雨で川の水が増水し川の様子が一変した。昔は、氾濫したこともあるが、川が日々の暮らしを豊にするような自然を守っていきたいな」。流石に区長さんの云うことは違うなと感心する。

立秋・・・・・施餓鬼法要

フシグロセンノウ

暦の上では今日は立秋。
立秋とは名ばかりで、今日の小諸は猛烈な暑さです。
季節の便りに使う言葉も今日から残暑になりますね。
我が菩提寺では年中行事で、最も重要な「施餓鬼法要」がありました。
お寺に行く前に庭に出ましたらフシグロセンノウが咲き出していました。
濃い緑とオレンジ色の花のコントラストが盛夏を感じさせてくれます。

このところ炎暑続きで家では短パンにランニング一枚でゴロゴロ過ごしていました。まさかお寺さんには、こんな格好では行けませんので、白い半袖のBDシャツに黒のチノパンと一応夏のフォーマルに着替えます。

本堂には空調の設備はない。窓は全開で、ところどころに扇風機が置かれていた。午前は、「お盆のいわれ」について副題が「餓鬼道に堕ちた母を救うために、お施餓鬼を行った目連尊者の話」を、みっちりと一時間も法話を聴く。

蓮の花

40分の昼食と休憩をはさんで午後からは約2時間「施餓鬼法要」が営まれる。

お経本

終わってみれば4時間ばかり暑さは忘れていた。適度な緊張感を持続していたせいだろう。

法要も終わり申し込んであった「卒塔婆」と、いつもの大箱マッチを頂いて帰宅する。

卒塔婆

家に帰るなり暑い、暑いを連発しシャワーを浴びてから、いつものスタイルに着替えてマッチを見た。

手を合わせ、今日も感謝の一日を
知らぬ間に、親に見習い子は合掌
知りながら、つい忘れがち親の恩


「親の恩」はお上人様が良く口にする言葉だ。

季節は亡き親をお迎えする迎え盆が近づいてきた。
そういえば、ちゃんと庭の「みそはぎ」も咲き出し風に揺れている。

みそはぎ

植物は正直ですね、ちゃんと咲く時季を心得ている。偉いね。実に偉い。
この「みそはぎ」だが、お上人様から教えて頂いてからわが家の庭にも植えたものだが、この花穂を切って、お迎えしたご先祖様を少しでも涼しく過ごしてもらうために仏壇に水盆を置き、「みそはぎ」の花穂を濡らしては、仏壇に水を撒く。こんな慣習も次の世代に伝えるのも親の義務かもしれない。

PS

今日はお寺さんで、嬉しいこともありました。
実は小諸の割烹「音羽」さんも同じ檀家のお一人でしたが、その若お上からお声を掛けられました。「昨年の秋は、ブログに手前共の店を紹介していただきありがとうございました」と。「アッご覧になられたのですか」「ハイ、ご近所さんから教えていただいて」「そうだったんですか」。

菩提寺の一人娘のJ子ちゃんの結婚披露宴に招かれたときの様子をブログに綴った。でも嬉しいな、だからブログって、止められないよ。それにしても、ご近所さんって、IVYのリピターさんなのかな。もし、このブログを読んでおられましたら、コメント頂戴出来ませんでしょうか。お願いします。

あの日のブログはこちらから。

新年祈祷会に出席

お寺1

朝から、わが菩提寺の恒例行事である新年祈祷会へ出席してきた。
親の跡を継いでから一年も欠かすことなく出席しているから、四十年くらい続いている。毎年、一月三日と決まっている。今日も九時半からの受付に間に合うように家を出る。

お寺2

早朝の厳しい寒さの中、青い空を背景に山門をくぐる。行事のときには本堂の軒に白い幕が垂れ下がっている。

お寺3

熱心な檀信徒が五十人近く出席していた。「ご祈祷会」は十時から二時間はかかる。IVYは「家内安全」のご祈祷をお願いしてあった。「身体健全」、「商売繁盛」など人それぞれ今年一年の無病息災を願う。住職の祈祷・読経が本堂のピーンと張り詰めた空間に流れる。数珠を手にして「南妙法蓮華経」のお題目を唱え合掌する。心の中で、ただ、この一年の無事を願うのみ。

お寺4

祈祷会が終わって庫裏で新年会が始まる。昨今のご時世からお酒は出ない。婦人部のみなさんによる手作りの御節料理と豆のご飯を頂戴する。

お寺5

食事が終わって、本堂に戻る。会場は一変して寄席の雰囲気に包まれる。

お寺6

最近のお寺さんは、壇信徒が気楽にお寺に参拝してもらうため、いろいろと工夫をするようになった。特に新年の祈祷会では、食事の後、余興を開催するようになる。昨年は、なんとお寺でビンゴゲームも飛び出した。今年は何かと思っていたら「落語」らしい。

お寺7

噺家は「林家さんぽ」さん。実は、この方現役のサラリーマンで趣味の「落語」は芸暦十数年のアマチュア落語家だそうです。本日の演題はお馴染みの「時蕎麦」。柳家小さん師匠の十八番で有名な噺でIVYも何度となく聴いたことがある落語でした。お正月もテレビで、いろんな番組を見ましたが、流石、生は違いますね。ほんの目の前で演じられる「時蕎麦」で本年の初笑い」をしてきました。

WEBに、こんなページがありました。

http://ginjo.fc2web.com/012tokisoba/tokisoba.htm

身延山万燈講-二

万燈講10

万燈とは、日蓮聖人が亡くなられた時、庭先の桜(お会式桜)が時ならぬ華を咲かせたという故事から、万燈は紙で作った造花で灯明輝く宝塔を飾っています。
 その万燈を先導するのは、江戸の火消し衆が参拝する折りに始めた纏(まとい)。纏が賑やかに舞い、団扇太鼓と鉦と笛の軽快な音色と共に万灯は進んでゆきます。

 

万燈の行列は、先頭が「纏」続いて「お囃子」最後に「万燈」の順でお練りが始まります。

万燈講6

総門から三門までの距離は1Kmあるかないかくらいだと思います。身延山の一番賑やかな通りまで練ってきました。両側に並ぶ土産品店、旅館、食堂や喫茶店などでは万燈講の一行様にご祝儀が渡されます。そのお礼として店の前で、一段と賑やかなお囃子で纏が披露されます。

万燈講8

万燈講の行列が、やっと三門前に到着しました。午後九時を過ぎていました。ここまで三時間も、かけて練ってきたのです。途中、雨も降ってきましたが、なんとか無事にお練りは終了となりました。ここから本堂までは、シャトルバスに乗り、いよいよ最後の本殿前で奉納式に臨みます。

万燈講9

身延山久遠寺の高僧から「ご苦労様でした」と労いのお言葉を頂戴し、記念の品が渡されます。
身延山で万燈が奉納されるようになったのは、いつごろなのかは、わかりませんが、毎年、久遠寺のお会式の法要が営まれる10月12日に、行われているようです。

日蓮聖人は1282年 弘安五年の九月八日、病身を養うためと両親の墓参のために、ひとまず山(身延)を下り常陸の国へと向かいました。しかしその途中、武蔵の国池上(東京)にて六一歳の生涯を閉じました。

日蓮聖人のご遺言「いづくにて死に候とも墓を身延の沢にせさせ候べく候」により、遺骨は身延山に奉ぜられて心霊とともに祀られました。

今回の身延山万燈奉納で、また一つ、仏様に「徳」をつむことができました。合掌し「お題目」を唱え、帰路につきました。

身延山万燈講

万燈講1

10月12日。
わが菩提寺の念願だった、身延山日蓮聖人お会式万燈奉納参加のため、菩提寺を貸切バスで9時40分ころ出発する。野辺山、清里を経由して須玉に出て身延に着いたのは午後1時を回っていた。

万燈講2

万燈行列は総門を入った駐車場が集合場所になる。我々が休憩したお寺さんは、この近くにあった。身延山の万燈行列に参加する講は、全国から集まってくる。それに地元である身延の町内の講も加わり合わせると30組を超えると聴いた。わが菩提寺の講は、今回、地元の「元町」の講にお世話になったので、その次に出発することになるが行列は最後の部になり総門を出発するのは午後6時過ぎになるという。そこで早い夕飯を済ませ、法被に着替え、時間まで「お囃子」の練習をする。お世話になったお寺さんの下に「身延川」が流れている。高台にあるので総門の横の大きな駐車場を見渡すことができる。

万燈講3

早い組は午後4時過ぎに出発するので総門に集合し始め、練習に余念がない。

万燈講4

いよいよ第一部の講が出発して行った。直ぐ身延川に架かる「大平橋」を渡って次々に山門までのお練りが始まる。

この続きは、明日にまた。

PS

今日も朝から慌しく過ごしてしまう。
朝momoちゃんが来訪し、お帰りになられると同時に娘と孫が遊びに来る。夕方は「大手門」の屋根に載る「鯱」を見学できるというので行ってみる。夜は会合が一つ入っていたので早夕飯を済ませ9時過ぎに帰宅する。風呂に入りパソコンに向かうが、昨日の疲れか、集中力がない。記事は途中までしか書けなかった。無理をしないで休むことにする。

身延山参拝万燈行列参加

身延山万燈行列に参加

十月はIVYにとってお寺さんの行事が多い月です。

身延山久遠寺は鎌倉時代に日蓮聖人によって開かれたお寺です。日蓮宗の総本山として、門下の帰依処として知られています。

その身延山久遠寺では、日蓮聖人が入滅された十月十三日を中心に御会式の法要が営まれます。そして今日、十二日の逮夜には万燈供養が賑やかに練り歩きます。

IVYの菩提寺でも、一年前から「万燈」の「お囃子」を練習し、今年初めて揃いの法被を新調し参加しました。

夕方四時に総門に集合し、いよいよ久遠寺まで四時間かけて練り歩きます。その前に揃いの法被姿で記念の写真に納まりました。住職を始め檀家のみなさん総勢16名の参加でした。

身延山の万燈行列については、明日、詳細にUPしたいと思います。

父母恩重経

父母恩重経

Rコメントが遅くになってしまい申し訳けありません。
今夜、全てのコメントにお返事を書かせていただきました。

お盆さんは、いつ、「おっしゃん」(住職)が読経にみえられるか、わからないので留守ができない。その「おっしゃん」が夕方、暑い中を来てくださった。わが菩提寺は檀家が少ないとはいえ、一軒、一軒、読経に回られるのはご苦労さんなことだ。数珠とお経本を持ってカミさんと仏間に座る。「おっしゃん」は、いつもの「開経偈」から入って、お題目を唱え、次の檀家へ急ぎ足で向った。

今夜はお盆さんでもありますので、先日、ブログでも触れましたが、私の好きなお経をご紹介しましょう。「父母恩重経」または「感恩の歌」とも言われております。私が最初に、このお経を耳にしたのは、今から二十数年前に女親が亡くなったときの葬式の日に「おっしゃん」が詩を朗読するような語り口で唱えときです。ここに全文を転載してみます。

感恩(かんおん)の歌      竹内浦次 作

あわれ同胞(はらから)心せよ  山より高き父の恩
海より深き母の恩  知るこそ道の始めなれ

児を守(も)る母のまめやかに  わが懐中(ふところ)を寝床(ねどこ)とし
かよわき腕を枕とし  骨身(ほねみ)を削(けず)る哀(あわ)れさよ

美しかりし若妻(わかづま)も  幼(おさな)児(ご)一人育つれば
花の顔(かんばせ)いつしかに  衰(おとろ)えゆくこそ悲しけれ

身を切る如(ごと)き雪の夜も  骨さす霜(しも)のあかつきも
乾(かわ)ける処(ところ)に子を廻(まわ)し  湿れる処に己れ伏す

幼きものの頑(がん)是(ぜ)なく  懐中(ふところ)汚し背をぬらす
不浄をいとう色もなく 洗うも日々に幾(いく)度(たび)ぞ

己は寒さに凍(こご)えつつ  着たるを脱ぎて子を包み
甘きは吐きて子に与え  苦(にが)きは自ら食(くろ)うなり

幼児乳(おさなごちち)をふくむこと  百八十斛(こく)を越すとかや
まことに父母の恵みこそ  天の極(きわ)まりなき如し

若し子の遠く行くあらば  帰りてその面(かお)みるまでは
出(いで)ても入りても子を憶(おも)い  寝ても覚(さ)めても子を念(おも)う

髪くしけずり顔ぬぐい  衣(きもの)を求めて帯を買い
美しきもの子に与え  古きを父母(ふぼ)は選ぶなり

己れの生(せい)あるそのうちは  子の身にかわらんこと思う
己れ死にゆくその後(のち)は  子の身を護(まも)らんこと願う

よる年波(としなみ)の重なりて  いつか頭(こうべ)の霜しろく
衰(おとろ)えませる父(ちち)母(はは)を  仰(あお)げば落(お)つる涙かな

  ああ有難き父の恩  子は如何(いか)にして酬(むく)ゆべき
ああ有難き母の恩  子は如何(いか)にして報(ほう)ずべき

 はえば立て立てば歩めの親心(おやごころ)わが身につもる老いをわすれて

 世を救う御代(みよ)の仏(ほとけ)の心にも似たるは親の心なりけり


如何ですか。難しい事は何も言っていませんね。声を出して読んでみてください。そして繰り返し、繰り返し読んでいくと、何故か泣けてくるんですよ。あのときもそうでした。「おっしゃん」の名調子。いや失礼。あれから三回忌、七回己と亡き両親の法事をするたびに、「おっしゃん」は残された子供たちのリクエストに応えて、この「感恩の歌」を唱えられました。私が四十代のころです。

全て好きですが、最後の「あゝ有難き父母の恩 子は如何にして酬ゆべき」。私の二親は、共に静かな優しい人でした。いつも笑顔を絶やさす、特に女親はフ・フ・フと黙って笑っているのが印象に残っています。最後は家で看取りました。親族からは男親は「ひこちゃん」女親は「おむらさん」と親しく呼ばれて、にこやかに応対している姿を今でも覚えています。

・・・・・・今夜の絵手紙・・・・・・・

兄妹宛に送った絵手紙です。桃を描いたつもりですが。

絵手紙〜桃